日语外教大泽珠弥子老师的书法作品展
于11月7日
在融院CD一楼大厅成功举办
今天我们有幸采访到大泽老师
让我们来看看书法笔墨背后的故事吧!
Q:老师您好!首先可以给我们介绍一下本次书法展的作品吗?
A:展示してある作品の内容は、《論語》と《荘子》の一部です。論語の小作品「学而不思则罔,思而不学则殆」と《荘子》の逍遥遊は漢代の磨崖碑に倣い隷書で書きました。一度に多くの情報が簡単に得られる時代ゆえに深く思考することが疎かになっているのでは等と考えていた時、論語の本を見て目についたのがこの言葉でした。逍遥遊の方は横3メートル以上ある大作なのですが、今回の展示で一番多く受けた質問がどこでどうやって書いたのかという質問でした。何も特別なことはなく他の作品同様、自宅の机で書きました。ただスペースは限られていますので、実はこの場で展示するまで作品の全体像が見られず、出来上がってから展示するまでの間生きた心地がしませんでした。逍遥遊は一個の考えや価値観に固執しない自由な世界を表現していますから、筆遣いと気持ちだけは出来る限りおおらかさをと心がけました。もう一つの荘子作品、斉物論の方は普段の生活の中で考えさせられていたことをこの内容に無理やり託して書写しました。皆が知っているとおり、これは万物斉同の対立差別を退ける立場から述べられています。多様な文化を扱う私たちは特に、比較という方法を通して答えを出すことから離れられません。しかし実際は分類することで生まれる弊害も大きく、本来の姿を見失う恐れもあるでしょう。何においても分別は一つの側面から見た判断基準であることを忘れないでいたいという思いからこれを書写しました。北魏時代の墓誌銘の風格に倣い、南方の柔らかさも取り入れて書いています。私自身、理解が浅くそれも正しいかどうかも危ういですが、同じ荘子作品であっても書かれた表現は違いますのでそのような視点からも楽しんでもらえたら嬉しいです。
本次展出的作品内容出自《论语》和《庄子》。《论语》的小作品“学而不思则罔,思而不学则殆”和《庄子》的《逍遥游》都是仿汉代摩崖碑,用隶书书写而成。“在这个时代,人们可以很容易地一次性获取大量信息,所以人们往往忽视了深度思考”,正当我这么想的时候,我看到了论语中的这句话。《逍遥游》是宽3米以上的大作。在这次的展览中被问到最多的问题是“在哪里写的”“如何写的”。和其他作品一样,我都是在自己家的桌子上写的。只是因为空间有限,实际上在作品展出之前,我是看不到作品的整体影像的,所以从完成到展示期间都没有实感。《逍遥游》表现的是一个不拘泥于个人想法和价值观的自由世界,所以在运笔和心情上我都尽量保持豁达。另一部是庄子的作品《齐物论》,是我把平时生活中思考的东西托付于书法而誊写下来的。正如大家所知道的那样,这部作品阐述了驳斥万物齐同的对立差别的立场,特别是研究多语种文化的我们,更离不开通过比较的方法来得出答案。但实际上,分类产生的弊端也很大,可能会导致事物迷失原本的面貌吧。我创作这篇书法作品是希望大家不要忘记,无论什么事,区别只是从一个侧面来看的判断基准。这一篇作品仿照了北魏时期墓志铭的风格,并融入了南方的柔和。对此我理解尚浅,也很担心是否正确,(两者)即使同样是庄子的作品,表达方式却是不一样的,如果能从这样的视角来欣赏的话,我深感荣幸。
Q:请问举办这次书法展览的初心是什么呢?
A:単純に書いたものを人に見てもらえる機会があるのはこの上ない喜びで、見て良いも悪いも言ってもらえたらより励みになります。
また、話が変わりますが、今の世の中、疫病等の関係から様々なことが制限されていて、自由に外出も出来ず、今でもそうですが少し前までは授業(勉強)、仕事、博物館の展示、講座、交際等、オンライン〇〇がほとんどでした。現地に行かなくても何とかなってしまう、しだいに現地に行く意義まで問われるようになってきました。しかしその分今身近にある物をじっくり感じて味わうことの大切さに気付かせてくれる機会でもあります。今回の展示は私自身が“身近でじっくり”を実践した結果です。皆さんの気持ちも同じであると信じています。
单纯能有机会让别人看到自己写出来的东西,是一种莫大的喜悦,如果能让别人看到后指出优缺点,那就更加值得了。
另外,如今因为疫情等的关系,各种各样的事情都受到限制,大家不能自由外出。不过不久前的上课(学习),工作,博物馆的展览,讲座,交际等,几乎都可以用在线的方式参加,所谓“在线〇〇”,即使不去现场也能解决问题。渐渐地,人们开始质疑去现场的意义。但是,这也是一次机会,让我们认识到仔细感受和品味身边事物的重要性。这次的展览是我亲身实践的结果。我相信大家的感受也是一样的。
Q:可以分享一下您学习书法的经历吗?或者说您开始学习书法有什么机缘巧合吗?
A:小学生の頃から近所の書道教室で字を書いていましたが、専門的に学び始めたのは書道の学科がある高校(埼玉県立大宮光陵高等学校)に入ってからでした。毎日朝から晩まで書く生活に没頭しました。また学校行事の一環で書の学習を目的とした訪中の経験は現在の中国滞在のきっかけにもなっています。一週間で北京西安杭州上海の4つの都市を訪れ、書道を通して多くの貴重な体験をしました。特に同年代の学生との書道交流で目の当たりにした学生たちの圧倒的なパワーは今でも忘れられません。高校卒業後は書道学科のある大学(大東文化大学)に進学し、実技だけでなく理論面にも力を入れました。書に対する考え方や勉強方法等悩みながら進む中でやはり漢字文化の発祥地中国で勉強したいという気持ちも高まり、学部卒業後大学院の修士課程に半年間所属した後、念願の中国の大学(中国美術学院)へ留学しました。
書道を学び始めた最初のきっかけは、小学校で書いた字を人に褒められたことだと思いますが、その後は自然にのめり込んでいて気づいたら専門になっていました。また、その都度人との出会いに恵まれたというのも自分にとって非常に大きいです。
小学的时候我开始在附近的书法教室写字,不过,当进入有书法学科的高中(埼玉县立大宫光陵高等学校)之后才开始专门学习书法,过着每天从早到晚埋头于书法的生活。另外,作为学校活动的一环,以学习书法为目的的访华经历也成为了我现在在中国工作的契机。在一周的时间里,我走访了北京、西安、杭州、上海这四个城市,以书法为媒介获得了很多宝贵的经历。特别是在与同龄学生的书法交流中,我目睹了他们的巨大力量,至今难忘。高中毕业后,我进入了设有书法学科的大学(大东文化大学)学习,不仅在实践方面,而且在理论方面也下了很大功夫去学习。由于对书法的理解和学习方法等存在疑惑,一直很想去作为汉字文化的发祥地的中国进行学习交流,本科毕业后在研究生院读了半年硕士课程,终于去了梦寐以求的中国的大学(中国美术学院)留学。
最初开始学习书法的契机,是在小学时所写的字被人称赞,之后就沉迷于其中,等意识到的时候已经成为了专业。另外,每次因为书法而和人们的相遇对我来说都是莫大的收获。
Q:日本同属于汉字文化圈,那么日本的书道和中国的书法有什么区别吗?
A:両者をはっきり分けることはできませんし、個人それぞれの意見があると思いますが、私は中国の書法が日本の書道と大きく異なるところは、一つの学問として成り立っているかどうかという点だと思います。中国の書法は長い歴史と共にあってその内容や表現などはその時代と強烈に結びついています。また、各地域各時代によっても美意識は異なり、個人の哲学思想とも深い関わりがあります。多様な美しさがあってそれぞれに理由があります。単に外見がきれいなだけというのとは違うと思います。もちろん見た目も違います。機会があったらぜひ各時代の日本の書も見てみてください。
两者无法明确区分,每个人都有自己的想法。但我认为,中国书法与日本书法最大的不同在于,能否作为一门学问而存在。中国书法有着悠久的历史,其内容和表现形式与时代有着强烈的联系。此外,各地区、各时代的审美意识也各不相同,这与个人的哲学思想有着很深的关系。美的存在各有各的理由。我认为这和单纯的外表漂亮是不一样的。当然中日书法的外形也是不一样的。如果有机会,请一定要看看各个时代的日本书法。
Q:谢谢老师的分享,最后还有什么想要对大家说的吗?
A:最後に
この度は貴重な機会を与えていただき本当にありがとうございました。理解して支持してくださる方がいなければ絶対に実現出来ませんでした。この場をお借りして御礼申し上げます。
真的非常感谢这一次宝贵的机会。如果没有理解和支持我的人,我是绝对不可能成功举办这次书法展览的。我也想借此机会向大家表示衷心的感谢。
宣纸之内涵空照影,笔锋之间望之浑然
感受美、欣赏美、创造美、展示美
祝贺大泽老师书法展成功举办
供稿:凌丽雯